2026年 01月 20日
さっき友人との電話で涙が出て止まらなくなった。
悲しい涙ではなく、自分に対する悔しさ。
昨日、何度もここに書いているバングラディシュ人が国へ帰って行った。
以前彼が最初の手術をしたとき
面会に行くと丁度彼が病室から出てきた。
彼は急いで私に近寄り、泣きながらいつまでもハグをしてきた。
そういうことに慣れていないから
どうしたらいいか分からずただ彼が泣き止むのを待っていた。
面会が終わって帰る時は、長い時間握手の手を離さなかった。
イスラム教の彼は生活や仕事、全てを自分一人でやって来た。
だから、彼の入院以前の妻や子供は何も知らされていなかった。
私もそれまで、何かにつけて「大丈夫なの?」と訊いていたけれど
いつでも「大丈夫」と答えてくるから何も知らなかった。
初めての入院・手術から生活問題は長男に引き継がれた。
長男(I)からの「手術しました」の連絡で病院へ行き、
その後は、今まで知らなかった諸問題のために(I)と動き回った。
その過程で、言葉の関係だったかもしれない、(I)と連絡できなくなった。
でも「報せがないのは良い報せ」そう思っていた。
いつ頃だったか、今考えると2回目の手術の前だったかも、彼がやって来た。
以前と変わらない姿だけれど話し方が違うとは感じた。
それを「脳の手術の後遺症かも」と思っていた。
かなり長い時間話したけれど同じことを何度も。
その時は特別何とも思わなくて
「同じことばかりなら早く帰ってくれないかな」そんな風に思っていた。
最近になって、以前電話に出なくなった(I)から電話が来た。
「2カ月の余命宣告を受けました」と。
早速彼の家へ行ってこれまでの話を聞いた。
今回の手術は3回目だったこと、
差額ベット代としてトータル50~60万円支払っていること・・・など。
それを聞きながら、彼が長い時間話して帰った理由に気付いた。
元気ぶっていたけれど、我が家へ来たのが2回目の手術直前なら
彼が自分の病気に気づき始め
自分が働けなくなった後の家族の心配から我が家へ来たんだ、と。
「自分がいなくなった後の家族に手助けを」きっとそれだ。
何で気づかなかったんだろう、例え小さくても何かができたかも。
数日前、彼と妻、まだ幼い3男が母国へ帰るという連絡が来た。
その後のことは彼の回復次第。
夜7時頃家を出て12時頃の飛行機を予約した、と。
羽田へ行くまでの車を借りられないだろうか?という連絡。
ネットで調べたけれど近距離で寝たまま運べるレンタカーは見つからなかった。
「まだ繋がったばかりだけれど介護保険の担当者と相談しては?」と答えるしかなかった。
結局、こんなことさえ私にできる力はない。
帰国前日、彼は病院に行って留守だったから
「明日は見送りに来る」と言って帰って来た。
「来る時間を電話ください」と言われたけれど「間に合わなかったら仕方ないよ」と返事した。
帰る途中で思った。
「これだけ長い期間日本で暮らしてきたのに見送りの日本人が私ひとり」
「それって可哀そうじゃない」
すぐに、彼を知っている日本人の友人に電話をして
行きますという返事をもらった。
昨日「7時でなく6時半に家を出ることになりました」という連絡が来たのは6時を過ぎてから。
慌てて出かけた、友人は来れなかったけれど私はギリギリ間に合った。
彼が車椅子に乗せられ玄関を出てきたとき
彼の肩をポンと突いて、覚えていないけれど顔の前で何か声をかけた。
彼が顔を上げて私を見た。
ハッとした表情になり、白い歯がはっきり見えるほど口を開いて笑った。
確かに笑い顔だった。
その後、目の下を袖で拭きながら車に乗せられていった。
さっき電話で話しながら泣いてしまったのはこの時来れなかった友人。
私が悔しかったのは、私には何もできないという思い。
自分が死んだときは、ある団体に全額寄付することで弁護士が書類を作っている。
その中には生命保険もあって、保険の内容もそれが可能になるように変更してある。
それを解約すれば、今彼が心配しているだろう金銭問題は間に合うはず。
でも、私は、とりあえず凌げるためにお金を使うより
何の責任も無いのに殺されたり傷つけられている人たちにこのお金を使って欲しい。
だから我慢して保険だけは手を付けずここまでやってきた。
そんな冷たい自分、目の前で悩んでいる人に何も助けられない自分
電話口ではそれが悔しくて大泣きしてしまった。
「もっと狡く生きて来られたら・・・」。
結局誰一人助けられない貧乏な婆さんでしかない。
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by eblo
| 2026-01-20 17:42
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