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昨日は法事。
初めて遅刻した、3分だけど遅刻は遅刻。
最近こんなことが多くなった。
出かけるまでに時間がたっぷりあるときにかぎって出発が遅くなる。
気がつかないうちに動作が遅くなっているのかも。

四十九日のときは涙が止まらなかったのに、今回は胸が苦しくなっても涙は出なかった。
時間って凄いもの、つくづくそう思う。
一周忌頃にはもっと変わっているのだろう。

母のときがそうだった、全て時間が解決してくれた。
自分の人生は自分で生きろ、18歳を過ぎたら親は一切手出ししない。
何も手助けしてくれなかった。
それでも傍にいるだけで、しゃんと生きられる気にさせてくれた。

病気だった年数が長かったから、数年間私が仕事に行っている時間以外、いつも一緒だった。
亡くなったときに物凄く心細くなった。
私はひとりで生きていけるだろうか。
あちこちで心配したらしい、後を追うのではないかと。
それが、今ではこんなに図々しいおばあさんになっている。

昔5年で3回の葬式を出した。
指を折って数えてみた。
もう30回以上の法事をやってきた。
来月早々にも次の法事が。

これが最後、そう決めていたのに、最近になって気持ちがぐらつく。
続けるかどうか。
法事といったって大したことをするわけじゃない。
もともと不信心な人間だし。
どこかで重石をおろしたかっただけ。
その区切りを自分の年齢と決めていた。

まだ体力はありそうだし、仕事さえ続けられればお金は何とかなりそう。
それなのに逃げ出してもよいのだろうか。
母が生きていたら言われることは分かっている。
「無理にやることはない。しかし自分で考えて決めろ」

こんなことを書きたくなったのはhisakoさんのブログを読んだから。
ずしーんと来た。
逃げ出そうとしている自分がすごくみっともない気がした。

重石といったって小石程度のもの。
ただの言い訳、一番分かっているのは本人。
ここで逃げ出せば、今までよりもっと、ただの惨めな婆さんになるだけ。

それと同時に、何も持ちたくない、完全に身軽になりたい、そんな気持ちが付いて回る。
何も考えないで暮らしたい。
一日一日、可もなく不可もなく、目の前にあることだけで時間をやり過ごしたい。
それが人間の幸せな生き方のような気もする。

墓の下で会ったとき何と言われるんだろう。
見透かされているのだろう。
「自分のためにやったことじゃないか」

来年までたっぷり時間はある。
その前に大地震で家の下敷きになるかもしれないし。
いくら逆立ちしたってhisakoさんのような人格者になれるわけじゃなし。
相変わらず逃げの手ばかり考える。



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# by eblo | 2017-02-20 09:54 | Comments(2)